体罰をする理由と昔と今の体罰の考え方
冬将軍のせいで頭皮が凍傷になりそうなスキンヘッドなマコポンです。
相撲界の暴行が連日ニュースになってるけど
個人的には子どもの喧嘩に親が出てきたと感じてた。そしたら指導の話に変わってたり横綱の品格のことについての話になってんだね。
キングコングの西野亮廣さんや武井 壮さんといったいろんな有名人もこの事から体罰など指導に対して意見を述べてる。
指導や体罰については
自分の考えを残しておこう。
俺は子どもの頃に今なら確実に通報レベルの大人からの理不尽な暴力を受けてた。そのせいもあってか体罰に対してはある程度の耐性というか諦めみたいなんがあった。
たぶん30代後半より上の人なら同じような人おるんじゃね?
ただね。
現代だけじゃなくて昔でも基本指導で体罰はダメでしょ。
ただそれを力で黙認されてただけでしょ。
※力ってのは腕力だけじゃなくて権力や経済力も同様。
でもね。
やる理由もなんとなくわかるんだよね。
シンプルに時間節約。
今と違って
日々いそがしいのにアホばっかりの昔。
指導するほうもされるほうも
生活だけでも時間を費やしてしまうのにさらに時間を費やすのをさけたいから。
だから体罰もするし容認もするよ。
だけど今は違う。
日々の生活を時短することもできたり
簡単に情報や知識を得られる。
体罰なくても指導や教育ができるという情報などから体罰の無意味さを感じてしまう。
だから今は昔より指導における体罰の無意味さから騒ぎになるんだろうな。
まあ、ホントに重要なのは
お互いが
何で相手がこういう言動をしているのか?
を理解し合おうとすることだと思うんだけどなー。